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8月までのお仕事を締めくくる最後の1週間だった。

 

間のお休みは「ディリリとパリの時間旅行」を観に行って、自転車を新しく購入して、まおちゃんが泊まりに遊びに来てくれた。

 

ディリリの映画は、私の中のフェミニスト的側面に働き掛けてくる要素がめちゃくちゃに詰まっているものだった。

そういう見方をしなければ、とか、深読みしなければ、全然想うことも感じることも変わってくる映画だろう。

 

私は生活の中で女性として迫害されている気持ちになる時がある。接客の仕事をしていると、あぁここに立つ自分がもし男性だったらそういう態度を取らないんだろうなと感じる出来事は何度も何度も経験をしてきた。

まるでそのような迫害を受ける姿が誇張されて表現されていると感じるシーンがあった。

男性支配軍の中で、女性は番号で呼ばれ、言葉を発することも顔を表にすることも出来ず、四つん這いになり男性の尻に敷かれている。文字通りに。

 

大げさではあるかもしれないが、時々感じる男性から女性への見縊る視線や態度、言動に近しいものを感じた。

 

単純に考えて、番号で呼ばれて椅子がわりに扱われるなんて最低なこと。耐えられないことだ。(ディリリはその訓練をさせられ、泣いていたし震えてもいた。)現実でこんなことをさせられたら、ゾッとする以外の言葉が見つからない。

物理的にこんな風にさせられることは経験もないしこれからもきっとすることはないだろう。

ただ私たち女性は時々、これに近しい扱いを受けている。それは確固たる事実だ。それに気がつかされた時、女性だからこそ受ける迫害はこんなにも醜くて見るに耐えられないものなんだと理解することができた。誇張されたものを見てぞっとしたことによって、普段だって相当酷い扱いをされ、無意識の軽蔑をされていることがはっきりとわかったのだ。

 

それに対して自分が何かをするとか、こんなことができる!とかそこまで「立ち上がるぞ!」みたいなことはしようと思わないけれど、不当な扱いを受けた時にはそれを無意識で見逃してはいけないと想うし、正せる状況であれば正していきたい。

男性から見下されることを、当たり前に思う自分だけはけっして存在させてはいけない。自分がこう思うだけではなく、「意識」をするひとびとが男性女性問わず増えていけばいいな、と思う。

 

逆の差別も、もちろんね。

男性だから、とか女性だから、とかそういう垣根が少しでもなくなっていく社会になりますように。

 

ディリリの映画はそうやって、単純なストーリーの中で考えさせてもらえるものだった。

 

 

そして今週の何よりものできごとは、この1年大切に大切に保護して頂いていた環境を卒業したことだ。

 

わざと上にそういう書き方をしたが、本当に一年間保護をして頂いていたとおもう。

愛に溢れたシェルターで大切に守って頂いていた。

 

1年前、思い出すとしんどいけれど、身体の調子が悪く新卒で入った会社を辞め、長いこと付き合っていた彼もアメリカに出発し、色々なものを手放しぽっかりしていた。こころも、からだも。

 

その頃に私を救ってくれたのはまず、ハーブティだった。そんな単純な理由だけれど、だから、ハーブティに関係するお仕事をしたいと思った。

あの弱っていた頃の私にとってその仕事は最良の選択だった。

何より、配属して頂いたお店の環境もメンバーも本当に素晴らしいところだった。

 

1年という短い期間で口を大きく開いてして語れる立場ではないが、この1年は本当に学びが多く、たのしく仕事をさせてもらった。

 

ハーブのことも、アロマのことも、まだまだ未熟だけれど沢山身につけることができた。まさか自分で、調合もできるようになるなんて。

 

ただ、ここで働けてよかったと思えるのは、何よりわたしを支えてくれたお客様やスタッフの皆様の存在だったのだ。

 

働き始めたころから、今までのお買い物では経験したことのなかった温かみを感じていた。気遣い、心遣いをこんなにも自然と温かくできる人たちがいるんだぁ…と感動をしたほど。

よくいらっしゃるお客様も煌めいたオーラを放つ方が多かった。前向きで優しさに溢れた方が多く、会うだけでも元気を与えていただける方ばかりだった。

 

見習いたい、こういう風になりたいと思わせてくれる素敵な方々にお会いできる一年だった。

 

 

おそらく途中、わたしが、次のステップに進みたいと思い始めたころ、勘付かれていたこともあった気がする。

今までの優しさが幾重にも重なるほどの優しさに変化し、少し重圧を感じてしまっていた。大切に、大切にされ過ぎて、窮屈に感じてしまうことがあった。

 

でもそこまでして、大切にしてもらうのは初めての経験だったから、今思うと本当に感謝をしなければいけないなと思う。

 

本当に、世界の優しい人トップ10をかき集めたんじゃないかっていうくらい、優しい方しかいない職場だった。

わりかし病弱で迷惑をかけがちなわたしに対して、いつもいつも優しい言葉とそっとその時にあったハーブティを用意してくれる先輩…。

顔色がいつもとちょっと違うだけでも気づいてくれて声をかけてくれる先輩…。

 

人の優しさを、下手すると当たり前に感じてしまうような環境だったと思う。

 

考えてみれば、優しい人だからできる仕事なんだよね。その人の話をじっくり聞き出して、その人の体調や生活を把握して、その人にあったお茶をつくること。

優しさ、思いやりがなければうまくできないこと。

 

自分が果たしてそれをできたのかな?できたかどうかは置いておいて、少なくともそんな優しさにあふれた場にいたことをこれから先も一生忘れず、そして誇りに思っていきたい。

 

最後にもう1つ、ここで働いてよかったことは、私をわかってくれていたこと。

 

わたしは簡単に言えば、HSPで(とか言って大げさで雑な面もあるくせに。都合いいよね)これまでいきづらさを感じることや少しのことでも情報量がキャパオーバーして疲れてしまうことも多くあった。(疲れやすいのはこれが理由なんだと気付いて気が楽になった)

 

その面をわたしの長所として捉えて、言葉に出して褒めてくれる人がちかくにいてくれたこと。これが本当に大きかった。

 

「りさは本当に共感力がたかいっ!!」

(今までは必要以上の感情移入に疲労感や単純に共感による悲しさを味わうことがしんどいだけだった)なんていう言葉とか。

「りさちゃんは本当に気づくのが早い」とか。

 

周りをよく見ている、とか細かいところにも気をつけてくれる、とか。もちろんやりきれていないこともあって自分はまだまだなのは重々承知している。

 

ただ、自分の中で生きづらさを感じていた面が、長所として活かせるようになったこと、認めてもらえるようになったこと、自信を持てるようになったことがこの1年間で何よりの収穫だった。

 

わたしはこれからもお客様と関わる仕事をし続けていく。お店をつくりあげる仕事をし続けていく。いつか、自分の場所だって、遠い夢かもしれないけれど、持ちたい。

 

そんな時に絶対に必要な、全体をみて、必要なことに気づいて直していくこと。進めていくこと。

 

これを少しだけど、力としてつけてくることができる場所だった。

 

 

優しい人に囲まれていたからこそ、自分の大切にしたい部分やいいところ?に意識を向けられるようになったのだ。

 

本当に、本当に、本当に、ありがたい環境でやらせて頂いていたんだ。

 

 

このご恩は、もう、どうやって返したらいいかわからない。少なくとも言葉で簡単に言いあらわせるものではないんだ。

 

ただ、ここで、あるいはこの期間にお世話になった人には、自分の成長を見せることで、感謝の意をあらわしていきたい。それしかできないし、それがしたいことなんだ。

 

いろんなものを手放した1年前。

 

たった1年で見えるものがこんなにも広かった。

 

逆に自分の中で絶対に変わらないものも見つめ直すこともできた。

 

本当に、いいいちねんたったんだ。

 

 

優しい言葉をかけてくれた全てのみなさんに、ありがとう。

 

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忘れたくないから、8/31 21:30のこと

 

出勤していない先輩もわざわざお店にしてくれた。

お店の向かいの柱に隠れて、贈り物とお花とステキなメッセージのつまった色紙を持ってきてくれた。

 勤務地に予定のない日に足を運んでくださるなんて。

 

どうやって感謝したらいいのかしら。

ほんとうに。

 

 

 

必ず、もっともっと成長します!!!