-2019-
総じて
昨年の暮れにもまずは漢字で一年をまとめたから今年もそれを踏襲して。
今年の漢字は「確」、これを選ぶ。
それを語る前にまずは去年の漢字「失」を「放」に訂正したい。2018年はたしかに色々と失った年だったけど、今振り返れば失うというネガティブな言葉よりも、自分にとって不要なものを手放して、今年手にすることができたものを受け入れる準備をしていたんだと思う。
確
この字を選んだのは、自分にとって「確か」なものを知ることができたから。
確信を持って、好きなこと、やり続けていきたいこと、胸を張って言えるようになった。
いままで自分の夢なんて口にしたりましてや人に語ったりすることなんてできなかったのに、今年はそれを確かな気持ちで向き合うことができたのだ。
最後の最後になって本当に大事な気持ちを改めて「確認」することもできた。
どんなことよりも「自分」というものに真剣に向き合うことができたから、こんな漢字をあげることができる1年になった。
自分の中の「確かなもの」を見つけることができた2019年。その中での大きな変化は特に二つ。
住処を変えたことと、お仕事を変えたこと。
去年のこの日記でも、小さな夢を語っていた。それを無事に体現することができた。
『2019年の小さな夢は念願の一人暮らしをすること。
しかも、お気に入りの町で。それが私のひそかな夢。
そこにお友達をよんだり、
おいしいものをつくったり、
スキなものを集めた自分だけの空間を創ったりしたい。』
この言葉どおり。そのまんまを叶えることができている。
よく行く街に自転車でお出かけがしやすい好きな街に佇み、大好きなお友達を定期的に呼んで(時々お隣さんに笑い声を注意され)、下半期はとくに週一くらいの頻度で焼き菓子を作り、日々の食事もお弁当も欠かさず作り続けた。
そしてものは最小限、それでも本やレシピ、アクセサリーは「好き」を妥協せずに、選んでは置いていた。
ひとりの生活は想像以上に快適で楽しくって、わたしの性に合っているものだった。
掃除機や洗濯機がどうも苦手で、光の彩度もその時間によって自分の好むものじゃないと落ち着かない、眠れない、目が覚めない、一々いろんなことが気になってきた。
だから今まで家族と暮らしていて不快に思うことも多かったし、前の彼と暮らしていた時はたくさんたくさんわたしのための気遣いをしてもらっていた。
それがひとりになると、予想外のことが起きず、自分の、言い方が悪いけど、思い通りに暮らすことができた。
最初は勿論効率も悪く、すべてを1人でやらないといけない家事の負担もあったけれど、毎度皿をきれいに拭くのをやめたり、髪を洗うのを2日に一回にしたり、だんだんとサボるのが上手になり、今やもう1人で暮らすこの生活が今まで経験してきたのもので1番快適なものになっている。日々の生活そのものを愛しているのだ。
大した意識はしていないけれど、この生活をすることで料理や家事やらの生活力も上がって、栄養バランスとか経済感覚とかもこれまでよりもしっかり身につけてこられた。
1人で暮らすことで一番変わったのは心のコントロールがすごく上手になって、しくしくベッドやお風呂で泣く、なんてことは一切なくなった。(一切は嘘だ。先週ちょっとだけした。)
1人でここで1日寝込むのも寂し過ぎると潜在的に思うのか体調も崩すことがものすごく減った。
一人暮らしが自分の心身にとってこんなにいいものだったなんて。
ただ、いつかの夢である結婚すること/かていをもつことを叶える日が来るのであれば、自分の思い通りに暮らすことは不可能になる。今の思い通りになるうちに心身のバランスのコントロールのレベルをより高めていって、誰かと暮らしてもうまく心を落ち着かせられるようにしたい。
次の大きな変化はお仕事に関して。
これはもう日々の日記に書いていてobviousなことだけれど、5月にさちこさんと出会って、9月から働かせてもらって、いろーんな経験をさせてもらっている。
そうかわたしは、今年前半は全然違う仕事をしていたのか。不思議。前の仕事をしていたことを忘れてしまうくらい、後半4ヶ月は濃密な時間になった。
でも前のお仕事だって決して無駄なものじゃなかったんだ。
一生あの仕事をしていたいかっていうと無理してでもイエスとは言えないけれど笑、一緒に働いていた方の優しさや笑顔からは本当に学ぶことが多かった。ハーブやアロマの知識も働きながら自然と身につけることができたし。今は一度その辺りの知識には、蓋をしてしまっていて殆ど触れていないけれど、ハーブを使う焼き菓子はぜひ作り続けたいし、いつか自分の空間をもたるのであれば香りでその場を演出することだって活かしていきたい。
そして9月からの今の職場。
本当に素敵な時間を毎日過ごさせてもらっている。
空間に足を入れるだけで歓声を上げてくれる方もいれば、お菓子を口にしてしあわせそ〜うな表情を見せてくれる方もいる。
現実の世界でこうやって人を喜ばせている人がいる、そういう空間を作っている人がいる、それを毎日見せつけられて、その大変さを目の当たりにしつつ、それを覚悟してでもやはり、自分でこの喜びとしあわせの連鎖を作っていきたい!と思えるようになっている。日々、その気持ちは高まっている。
お店でのお仕事だけでなく百貨店でのいくつかのお仕事でも憧れの人を近くにしたり、なんならお話する機会を与えてもらったり、本当に贅沢なことをしている。少し前までは、これは本の向こう側の人だから、と自分との世界を切り離していていろんなことを諦め、試みさえもしないようなつもりでいたけど、今は違う。
自分で素敵な場所を作り出している人だって、もともとは1人の人間だ。
わたしだって、やろうと思えば、なんでもできる。やろうと思わなきゃ、無理だと思えば、そりゃ何にもできない。
こういう風に考えられるようになったのも百貨店でのお仕事があったおかげだ。
ただ、ここへきてまだまだだったの4ヶ月。ここから、何ができるか、それが大事。
さちこさんも新しい年からは、とまた色々と考えていらっしゃるみたいだから、少しでも力になれるように、どんどんお店を面白くしていけたら嬉しいな!!!
いろーんなお客さまにお会いできること、お菓子や楽しんでいる様子を見られること、楽しみで楽しみで仕方ない!
英会話講師としての仕事もすごく楽しんでくることができた。
わたしはやっぱり子どもが大好きで、自分の話を一生懸命に聞いてくれる姿や、「りさ先生りさ先生!!!!!」と楽しそうに名前を呼んでくれることがたまらなくだいすき。
所属していた会社の諸事情で(詳しく聞いてないけどな?!?)一旦この仕事はストップしなくちゃいけなくなってしまったけど、子ども、英語、コーチング、これはずっとずっとしていたいこと。どうにか道を切り開いて、続けていく方法を探して行かなきゃ。
英語が話せると関わる人も見る映画も読む本もいろーんなものが広がって楽しいよ!この考えを広めることはずっと、していきたいし自分の中でも大切にしていきたい。そしてわたし自身衰えつつある英語をしっかり取り戻す、これもまた2020の目標にしていこう。
・恋愛
箇条書きのひと項目として残しておきたいこと。
2020年がもう直ぐ始まる、つまり2010年代がもう直ぐ終わるっていうこと。素敵な恋をいっぱいした2010年代だったな。いっぱいっていうのはたくさんの人っていう意味ではなくって本当に好きな人を心から愛することができたなぁって。
わたしは、誰かを好きになると、とことん、好きになる。自分のことがうまく考えられなくなって、わたしの中では楽しくしあわせに過ごしているつもりなのに後から冷静になると、あ振り回されていたんだ、なんてこともあったりした。年末年始は何故だか毎年恋愛に関して泣くことが多くって。
今年もまた例外じゃない。今年の中でいちばんいちばん、というか唯一泣いたのがここ最近の恋愛事情だ。
去年の日記にも綴っていたけれど、長いこと恋人がいないという期間がなかったこともあり、今年の初めはいろんな世界が広がりうることに胸を馳せていた。今年は今まで会ったことのない人と会うことも懐かしい友達と会うことも楽しんだ。少しいいなと気持ちが傾くこともあったし、下半期はとくに、ひさーしぶりにひとりの人と定期的に会ったりなんかもしていた。日記にそのワクワクを綴っていたりもした。好きになってるのかな?と思ったりもした。
でも最後の最後にどんでん返し。
ひと目あっただけで、自分の中で止まっていた時間にタイムスリップしてしまった。
雨の中、
懐かしい道で
懐かしいにおい、こえ、からだの柔らかさ
あの日の言葉に期待してしまって、わたしは凄くすごくばかだったんだ。
久しぶりにお互い直接、言葉で気持ちを交わすことができて、どこかで張り合っていた意地も解消して、本当に最高の数分間だった。
でもあの素敵な2人だけの時間は幻だったんだ。
(そう思って、胸にしまっておくしかないんだ。)
理性的にも、感情的にも、思うことをわたしは伝えることができて、わたしはスッキリしていた。それに加えて、また1人で未来に勝手に期待を寄せたりもしてしまっていた。
でも彼は冷静でいてくれた。
めちゃくちゃな判断をしてしまう前に、大きな誤ちをおかしてしまう前に。
やっぱり優しいひとなんだ。
最高で、手放しちゃいけないひとだったんだ。
今年も終わるから、もうこの日記に書いちゃうけど、まだまだ好きだし、癒えてない気持ちが心にあるんだな、と気づけた。これもこれで「確認」できた気持ちの一つ。
たったさっきまで感じてたこれが恋かしら?って他の人に一瞬抱いていた気持ちはやっぱり違うものだった。
彼に会った時に確信を持てる何か、があったのよね。
彼からだって素敵な言葉をかけてくれた。
でも冷静に考えて、戻ることは、今は少なくとも、おかしいよね。また苦しくなって、可笑しくなる。そうやってハッと頭を冷ましてくれたのは皮肉にもまた彼だった。
もう元には戻らないこと、胸が締め付けられて本当に悲しくなる。
あの時に戻れればどんなに幸せかって。
でも、逆に考えればわたしには戻りたい「あのとき」が人生の中で経験できているっていうこと。それだけでも今は、十分じゃない。素晴らしいこと。
いつかの日記にも書いていたけれど、彼からは沢山の愛をもらっていたし、わたしもまた愛を沢山伝えていた。それができていたから、2人の関係はすごく温かいものだったと認識ができている。
今は、これだけでよかった、そう思うしかないな。
本当はまだまだ辛くてやらせない気持ちもあるけれだ、これ以上はどうにもならないから。
すごくすごく好きでいられて、愛を捧げる存在がいただけでも本当に良かった。それは8年前のあの人もおなじ。(あ、8年前!??)
残念ながら、去年の今頃のように「来年は誰か隣にいてくれるかな?」なんて胸を馳せるほど、期待を持てるような心情では、今は一切ない。
しばらくはきっと、放心状態のまま。
でも何を選ぶにしても、後悔をしないように伝えたいことを伝えたい時に伝える。これは誰と関係を気付くときであれ、徹底をしていきたい。
なにかいいことがあるといいな、
ときめきをまたどこかで感じられるといいな
長々と書いてしまったけど、わりと年末の時期に誰かがかけてくれた言葉がすごい気に入っている。
「運命の人は1人じゃない
運命の人は何人かいると思う」
誰が言ってくれたんだっけな、でもすごく支えられている。
「運命の人はいないよ」そんな言葉はなんだか悲しすぎるし、だからといって「運命のひとり」と思うのもなんだか気が重い。あの人を流してしまったら、もう誰もいないのかな、と思ってしまいかねない。
でもその友達がくれた言葉を信じていけば、
わたしが一生懸命に愛していたあの人も、あの人も、運命の人だったんだ、と思える。
また何かの巡り合わせがもしかすれば起きるかもしれないし、また新しくどこかで運命の人に出会えるかもしれないし。
とにかく、まだまだ先のことはわからない!し、期待したっていいんだと思う!楽しみに、思えるようになるといいな。
・自分でつくるしごとのこと
いよいよ春にこんなことをするぞ!とはっきり決めたから、今はこれが自分の人生のどんなことよりも楽しみ!やらなきゃいけないこと考えなきゃいけないこと山積みで大変なことになると思うけど、今のわたしはそれを求めている。自分のやりたい仕事で自分をいっぱいいっぱいにしてやろう。でもそれはただがむしゃらにやるわけじゃなくって、誰かが喜んでもらえるように。誰かが美味しい🎶と思って誰かのしあわせに繋がって、また他の誰かと楽しい時間を過ごすひとつの材料になりますように。そんな気持ちを込めながら丁寧に、自分の中でのこれまでのいろんな考えや経験を落とし込んで表現していければいいな。
こうやって舵を切っていくことが2020年の1番の課題であり、楽しみだ。
読むこと書くこと楽しむこと
きれいになること
ざっと書いたけどこれもしっかりとしていきたいこと。読む、書くは今年と変わらず、最後に書いた「きれいになること」
これは最近どこか疎かにしていたことだった。一年の最後に無駄にいつもよりもメイクをしてみて、なんだか楽しい気持ちになれた。それと同時に自分が美に無頓着になっていることにも気がついた。
神経質になるのは絶対わたしの心には合わないこと。ただ、単純に自分の楽しみのためにもっときれいになること意識してもいいのかな、と一年の最後にギリギリ思うことができた。
最近心を弾ませてくれるクィアアイのファブ5をみて、意識を高めていきたいな❤️自分の好きなことを沢山して、自分に自信を持てるように、そんなふうに自分の進む方向性を見出していけたらうれしいな。
好きなことを存分に楽しんで、やるべきことをしっかり取り組んで自信をつける。自分をもっと大事にしていきたい。
今年も十分、自分だけの面倒を見て大事にしてこられたと思うけど、なんというかもっと、甘やかすだけではなくって、もっともっと真摯に自分に向き合ってお尻を叩いて、世の中に確固とした存在でいられるように。
そしてそれ以上にもっと周りを大事に感謝していくこと。毎年のように言っていることだけどね。
今年はなんだか人から「もらう」ばかりが多くて自分が何かを'give'することができていなかったな。
お仕事をしていて形式上はgive していても結局それは自分の喜びとしてもらう意味合いの方が強くって。
いい意味でそうやって吸収すること、もらうことが多い一年ではあったけれど、もっと純粋な気持ちで周りの人に愛や思いやり、美味しいものetcを与える側の人間になれますように。なります。努めていきます。
穏やかだけど確固たるものを持って、自分の道を選んでいくことのできた1年。いい年だったなぁ。
来年はただのいい年、じゃ終わらせない!
口だけ、とかじゃなくて、自分が活動している証をしっかりと残せるように、そして無駄な時間を作らないように。
自分の将来にとって、とっても大事な年になるはず。
2020年、なめるなよ!!
あーー、たのしみ!
52
穏やかな1年にパンチを効かせるできごとから早1週間。今週はそれにさらに追い討ちをかけてくるようなことばっかりだった。
今年は一年通して穏やかだった分、最後の追い込みがすごい、すごい。
細かいことは置いておこう、
こんな時でもそばにいてくれる大切な友達に恵まれていることに気づくことができる最後の1週間だった。
私の狂気じみた行動を報告したラインに対して優しく包み込んでくれる涼子ちゃん、
共感をしてくれて、来週、来月、来年はなに思ってるかわからないよねって言ってくれる、そして私のべらべらまとまりのない話をやさしーい顔で聞いてくれる真麻ちゃん、
なつかしーいジャニーズの話でげらっげら笑わせてくれるちなちゃん。「何か一つに縛る必要ないよ」そんな言葉もかけてくれた。
私のことをめちゃくちゃ理解してくれている最高の3人。
その存在の再認識ができただけでも、今年の暮れのこのひどい追い討ちはいい勉強になるできごとだったのかも知れない。
つらくてつらくて沢山泣いたせいで、顔もはっきりしないわ、立っていられないほど調子は悪くなるわ、耳が壊れるわ、なかなかのタフな1週間だった。でも、本当に大事なことに気がつけたし、言いたいことを整理して伝えることもできたから。もうそれでよかったんだと思う。
「うまくいっていれば」の方を考えると胸がキュっと締め付けられて本当に悲しくて切なくなる。だけど、人の気持ちはもう、どうにも操ることができないもの。もうそれを飲み込んで、消化して、生きていくしかないよ。自分にそう、言い聞かせていく。
最近はこうやって自分の気持ちの方にフォーカスが当たっていて、仕事!っていうふうに気持ちを締めることができていなかったな…でも年末の最後の数週間はこうやって起きてしまった心の乱れと向き合うことができて、それもまた自分らしくて良かったと思う。
これがなかったら、なんとなくこの一年、自分がぱきぱきしすぎていて気味が悪い気もするから。
今更気づくことじゃないけど、私はとにかく気持ちに揺さぶられる人間だ。
思い通りに行かないことがあると、とにかく心も体もすぐにはちゃめちゃになっていく。
ここをなんとか乗り越えていきたい、それがひとまず2020の目標かしら。
感情の揺れ動きはさておき、お店の年内の営業も無事に終えることができた。
最後の2日間は特に常連の方が沢山いらしてくださって、なんだか涙が出そうになった。
お店をこんなにも好きでいてくれる方がいるんだ。うれしいな。それを作り上げてきたオーナーのもとで働けること、これもまた、たいそうしあわせなことだな。とにかく恵まれに恵まれまくっている。2020年のビジョンも少しクリアーになってきて、お店の仕事もできることが広がりそうだし、自分の仕事も準備を着々と進めていきたいと思っている。
2019年はのこすはあと、たったの、いちにち。
明日は一年の総括を。たっぷり書こう。
今日のうちに1年の日記を見直そう。
51
一瞬にして、今年のいろんなものがぱーんっとどこかへ飛んで行った。
今までの記憶とか、感情とか、考え事とか、すべて。
もう今週1週間何を考えていたかさえも何も思い出せない。
この1年ちょっと何を考えていたのかも、脳みその中がすっからかんになってしまうくらい、忘れてしまった。
確か、今週は、仕事ばっかりしていた1週間だった
日常の、当たり前の幸せ。たぶんそんなに嫌なこととかなかったと思う、とにかく1週間の中身は覚えていない。
だって日曜日に何もかもを吹き飛ばしてくれる出来事があったから。
「いろいろごめんね」と言ってくれたこと
雨の中、懐かしい交差点でこれまでの感情をぶつけたこと
何処かで制御をかけていた感情がすべて解放されて、思いのままに涙を流したこと。
いろんなことが180度変わった1週間だった。
やっぱり、大事ものは、そこにあったのか。
正しい判断かどうか、全然わからないけど
今はひとまず、今自分が抱いている感情に従ってみようと思う。
抽象的な日記になってしまった。
自分ははっきりわかる、しきっとわたしのことをよく知っている人ならお察しの通りです。
はい。
はい。
来週で今年が終わるのか。まとまるかな、いろいろ?少しは整理をつけて終えたいな。
でも、
大切なことに気がつけて本当に良かった。
とにかく思ったこと
I love the way he looks at me. あんな目で見てくれる人は誰もいないや。And I'm the only one who looks at you in that sort of wayって感じ
、これもう、わたしにだけわかればいい、っていうかわたしにしかわからない!
50
ぎゅぎゅ〜っと素敵なものが詰め込まれた1週間!
2.3週間前からバタバタとしている日が多かったから、静かな夜を過ごすと決めていた1週間。
あんなにばたばたしていたらそりゃ体調も拗らすしいろんなところに狂いが出てくるのも当然よね、落ち着いた夜を過ごしたことでこんな風に思わされた。
通院のために早く仕事をあがらせていただいたりもした分、家で過ごせる時間が本当にたっぷり取れた。
先のことを考えもせずに、デーツをヨークシャーティにつけたり、イチジクをラム酒につけたりした。
次の日は気づいたら10年読み続けている『ファッジ』を久々に手に取って、大好きな街のスナップをたっぷり載せていたから即購入。それから年の暮れらしい特集を組んでいて、年末の掃除を助けてくれそうな記事から心温まる優しいエッセイまでたっぷり詰まっているのを見つけて『暮しの手帖』も連れて帰った。
ことことじっくりつくったサーモンのシチューを食べながら、それらの雑誌を読む。
ゆったりした時間。なんて幸せなんだろう。
ひとりの時間の、ヒュッゲを感じる空間。時にはこういうひと時も日々を生き抜くためには必須だ。
さ、先を見据えず漬けはじめてしまった果物たちをどうするか。
ラム漬けは放置でいいとして、紅茶漬けあまり長いこと放っておくわけには行かない。
11月の終わりに作ったピーカンパイであまっていたピーカン、これを思い出したときに「デーツとピーカン」ほど魅力的な響きの組み合わせってこの世にある?!と思って、一緒に混ぜ込むことを一瞬で決めた。
紅茶の豊かな香りを残しつつも、この時期だしスパイスも香らせて温かみを持たせたい。ぱっぱっぱっとシナモン、クローブ、ナツメグの分量を取って、適当に入れたのだけれどこれがなかなか絶妙だった。
レシピも手元におかず自分の感覚だけを頼りに作ったから、焼成時間と食感に関しては本当に失敗をした。ボロボロ、ボソボソ、。。とほほ。思い描いていたしっとりしたケーキにはならなかった。
だけど、味は本当によかった!日本のケーキ屋さんにはあまりない具材の使い方だけど、どこか懐かしい味をもたらしてくれるのがデーツの特徴でもあるし、このケーキは自分のケーキリストの中で選抜メンバーにしてあげたい!改良の余地大有りのケーキ。美味しくして、食べやすいしっとり感を作り出して、時間をかけてでもパーフェクトなものに磨いていくぞ!
「りさのデーツのケーキがたべたい!」そんなふうに誰かの心に思ってもらえるような、印象に残せるような、、!
次の日はラムイチジクと全粒粉を使ってスコーンに。ざっくざく、大雑把な焼き上がりにしたけれどこれはとっても美味しくできた!食感もちょうどよく、ラムの効き具合も凄く良くって。
しばらくの毎日の朝の楽しみに。いただいたカマンベールチーズを乗せて食べてあげるのもこれまたなかなかいい!
でも本当はブルーチーズを乗せて赤ワインとともに口にする、こんなクリームティの仕方も最高なんだろうな。。(果たして人はそれをクリームティと呼ぶのだろうか!!?)
職場でも焼き、帰宅しても焼き、毎度毎度新しい発見がある。こんな生活を送れていることが本当に恵まれていて幸せなことだと思う!
1週間の仕事を終えたあとの皆さんとのティータイムもゆっくりとして幸せな時間だったなぁ。職場でもいろいろあった1週間だったけれど、そのときに抱いた心の中の複雑な気持ちとかを帰宅してからさちこさんに吐き出したら「私も同じように考えていました」だったり「りささんは今まで通りで大丈夫ですからね」だったり、本当に優しいことばをかけていただいた。
どうしてこんなにも素敵で優しくて、守ってもらっているように感じられる方のもとで働けているんだろうかわたしは…。
追いつくとかはとてもそんなことができる方ではないけれど、少しでも力になれるようにもっともっと頑張っていこうっと!!そう思える方のもとで働かせていただけることへの感謝も忘れずに…。素敵な面はたくさんぬすませてもらおう、お菓子を作る面でもお客様と関わる面でも人間としてのあらゆる側面でも…。
今年の残りの営業期間は、初めの頃の気持ちをよく思い出して、自分の中で高い満足感を持って終えられるように過ごしていきたいな。
お休みの日は待ちに待った涼子とのディズニーシー!夏休みに2人でディズニーシーに出かけてから次の機会をずっと楽しみにしていた。
改めてディズニーの偉大さを感じさせられた時間だった。
何でこんなにも、色や光、音だけでこんなに心を幸せで包んでくれるんだろう?!
色とか光とかそういう具体的なものだけじゃなくって、ディズニーのパークという概念そのものが持っている幸福を作り出す力もまた、すごい。
そこにいるだけでほわーっと心が温かくなる。頭の中も、心も、やさしいオレンジ色で全てが包まれる、そんな感覚になれる。
幼い頃の記憶とのリンク?
ディズニーのパークへのざっくりとしたイメージ?
光や音の技術が作り出す演出?
何でだかははっきりとわからないけれどパークの中にいるとびっくりするほどの幸せに襲われる。
もう何回も来ていて、どんなからくりが潜んでいるかとかどこに何があるのかとかすっかりわかっているのに。それにもかかわらず毎回必ず心の中の何かがキラキラとはじけて、わくわくのきもちを抱かせてくれる。
クリスマスの時期に感じるそれは、いつも以上に、必要以上に心の中で輝いていて、胸が苦しくなってしまうほどだった。
今になってあふれてくる後悔とか、無意識に心の中で思い返している、昔、同じ時期に感じた幸福感だとか。いろんな感情が、キラキラしていてきれいだなったいう思いと心の中でごっちゃ混ぜになって、これはもう、なかなかのしんといものだった。
1日の途中までは純粋にきれいだな〜幸せだな〜の真っ直ぐな感動だけで心が満たされていたのに、途中からいろんなものが混ざってしまった…
でもこれが、今の私のこころなんだよな
ぱきっと決めきれなくて
どこか過去にすがりついていて
誰かに救い出してもらいたくて
でもひとまずは流れに身を任せるしかなくて
それも、幾つもの流れが存在しているからどこに身を任せるかも定かではなくて。
ごちゃごちゃの、きもち。
でも涼子にはこんなはちゃめちゃな話も落ち着いてきいてもらえて、私はとにかく安心をした。
今は何もかもどうにもならないことだから、とにかく心が1番したいように、1番楽しいと思えるものを選んでいこうと思う。
少なくとも久々に言葉を交わせて、もうすぐ会う約束もすることができて、どこかほっとしている自分がいるんだと思う。
ディズニーがこうやってマジックをかけてくれて
素直になれるように働きかけてくれて
本当にありがたいな。
何だか途中から違う話が混ざってしまったけれど、大好きなディズニーシーを大好きな友達と大好きな季節に心ゆくまで楽しめて本当に最高だった!
いつまでもディズニーシーを楽しめる自分でいられたらいいな。
長くなって、纏りがなくって、はちゃめちゃな記録になってしまったとさ。
つづき
平日の昼間の電車は、とっても優しい。横目に優先席の譲り合いを何度も見たし、席を譲ったキラキラした女の子が目の前に座っている赤ちゃんと遊んでいて、さらにキラキラ、キラキラとしている。
49
今週は1.2週間前に対して、本当に心から安心を与えてくれる友だちにあえた1週間😌
はるちゃんがお店に遊びにきてくれたり、すがぴんとべちゃくちゃ喋りにいったり。とてもいい時間を過ごすことができた。
はるちゃんとは残念ながらたっぷりじっくり話す機会は得られなかったけれど、きっとまたすぐ来るはず。
先週書いた日記に対しても、お店に来てくれた後の連絡の中にも、温かい言葉を沢山詰め込んでくれた彼女。
彼女がいってくれたことがまさに、わたしにも当てはまっていて、「共感することが沢山ある、でもわたしには持っていないものを沢山持っている人」。はるちゃんはまさにわたしにとってそんな人!
誰よりも、しかも人に見せずに、努力や準備を重ねること、これはもう本当に彼女の一番の特性であり尊敬をしているところ。そして、わたしにはとてもできないレベルでそれをこなしている。
人の気持ちや痛みを深く考えてくれるやさしい部分も他の人にない、彼女をつくりあげているとっても素敵な要素だ。
彼女のそういう部分に、一緒にいるときに触れることで、まだまだ頑張れることが沢山あるな、とか、こうやって誰かの気持ちを考えようとしてみよう、とか努力や思いやりのモチベーションを与えられる。
人1倍、いろーーーーんなことを考えて、感じて、生きている人だから、それによっていい面もあれば、苦労や負担をどんどん大きくしてしまっているところもあるよね(わかるよ…)
だからこそ、彼女が肩の力を抜いて素敵なお友達と楽しそうにおしゃべりをしているところを少し離れて見ることができたこと、すっごく嬉しかった。
ただでさえ、日頃から、仲の良いお客様同士でリラックスしてお話を楽しむ姿を見ることって、わたしにとって大きな喜び、やる気になっていること。
それが普段自分に対してストイックな彼女がふんわりした表情をしているもんだから、なおのことわたしの大きな喜びに繋がるのも当たり前なの。それが自分にとっても想像以上に幸せな出来事になった。そんな週末だったんだ!
次はまた、ゆーっくり、ここ最近感じてきたことを思いっきり解放して楽になる会を開きたいね。きてくれて本当にありがとう。
そしてその日の夜はすがぴんとごはん、ねねの働くすてきな居酒屋にて。
すがぴんと話すのも、これまた格別な時間だった。
彼女といると自分がものすごーくオープンになって、無理をしているとかではなくってあっけらかんと明るく楽しく時間を過ごすことができるのだ。
少しおかしいけれど、わたしこんなに明るい人間なんだって!
でも話している内容になんの偽りもなくって、飾らず心からのことをばらばらと話している。
なんというか、普段ならない自分でいられるのだ。でも、内側はより、より強い自分でいられるのだ。
この変化を自分でも思い返すと、すがちゃんの存在は本当に偉大だ。わたしの心を完全にぱかっと開いてくれるひと。
多感な時期だったはずの中高もずーっと楽しい時間を一緒に過ごしてくれた。
お泊まり会をしたり地元近くの商業施設でプリクラ撮ったり、あとは何より原宿に遊びにいって古着を買い漁っていたこと。わたしの青春を1番ともに楽しんでくれた存在なんじゃないかしら。
すがちゃんとは中学で入っていた部活が仲良くなったきっかけ。なんていうか、彼女も私も中心メンバー的な存在だったと思う。
でもわたしは続けることを選べなくなってしまって、そこにいたことにも辞めることにも、何にもかもにも罪悪感を抱くようになってしまったんだ。
自分で言うのも何だけど、随分とみんなの真ん中で部活動の時間を過ごしていたもんだから、そんな奴が無責任に辞めること、それを選ぶことは本当にしんどかった。自分の中では逃げもあってか、高校の頃は部活が一緒だったことは物凄い気まずさを感じることになってしまったし、此方からも彼方からも互いに避けたり距離を置いたりすることになっていた。
そんな中でも唯一変わらない距離感でいてくれた/いられたのがすがちゃん。
どうして、変わらないでいてくれたんだろう。冷静に考えれば今そんな疑問が湧き上がるほど、変わらずに接してくれた。
私の心を開いてくれたのは始めの地点からだったけど、どの瞬間も一切の裏切りもなく、いつもにこにこそこにいてくれたこと、それがあったから彼女には無自覚のうちに信頼ばかりが積み重なっていて、そのおかげでこんなにもわたしはオープンになれているのかな、そうおもう。
彼女の存在は改めてすごいや。
照れ臭くて、この日記読まれたら、顔真っ赤になっちゃうけど、それでもいつかはこのきもちと楽しい青春をともに過ごしてくれたこと、そして何より変わらずに私の横にいてくれたことの感謝の気持ちをしっかりと伝えられたらいいな。
腹割ってなんでも話しているうちに書き留めておきたいこともふわっと出てきたんだ。
もうね、意地の張り合いを辞められたらいいなっていうこと。これはさっきまでの2人の大切な友だちの話とは全く別のことね。すがちゃんにちょっとした相談を聞いてもらって出た答え。
6年前から、そして去年のことも含めて、ずーっとお互い意地を張っていたんだ。わたしはそこに自覚があったけど、そのままにしていた。
大人にならなきゃな。
このままじゃ、何度も何度も同じ過ちの繰り返しだ。
ちょっと勇気のいることだし、私の勝手な判断かもしれないけれど、(あの人に対しても、これまたあの人に対しても)、きっと今後の私とそれぞれ2人との関係性のためにも、必要な決断なんだ。
前に進んだ2019年。残り3週間もさらに前へ進んでいくんだ!!
48
※日記だから、いろんなことを包み隠さず書きます。今に始まった事ではないけれど。笑
ひとつ前の日記は、おさぼり日記。箇条書きのものになってしまった。
慌しかったな、先週は。
なんなら、10月の終わりから英国展もあって、本気で休むということができていなかったな。
そのボロが、どんどん露わになったのが今週だった。
週の半ばからここ数ヶ月は感じていなかった酷い目眩を起こしてしまい、満員電車の空気感にも耐えかねて車内で座り込んでしまったり。
立っていなきゃ本来できない仕事を普段しているけれど、椅子に腰掛けながらできる仕事をやらせてもらったり。
こんなふうに対応してもらえる職場で本当によかった。
ただ、今の場所では身体の弱い部分を曝け出すのが初めてで、悔しかった。
9月以来身体の調子は本当によかったから、自分の病弱キャラはすっかり忘れていたし、どこかに置いてきていたつもりだった。
だから職場ではさちこさんの次に動ける人間だと勝手に思っていて、きっとさちこさんにもそれに近いことを思ってもらえていたとおもうのだけれど、
病弱キャラの自分がぶり返して突然やってきたせいで、全ての調子が狂っていった…
スーパーにも暫く行けないかな、と感じてしまうくらい、目眩+光の刺激+においのトータルで出来上がる居心地の悪い空間。
チカチカする上にぐるぐるする、怖いくらいだった。
家の中でも立ち続けていることが難儀でベットサイドのスツールには今週はずーっと助けられていた。
何かを火にかけて少し待つ間はずっと座っていたし、できるときはお野菜を切る時も座りながら。
そうやって思い通りに身体が動かないことのもどかしさ自体も更なるストレスになってしまう。これが1番しんどいんだよね。
元気に戻ったと信じ込んでいた自分の体が実際はやっぱりそうじゃないってことを突きつけられたこと、いつまで経っても完全に治るものじゃないんだなこれはもう付き合っていくしかないんだなって自覚していかなきゃ行けないこと…。
自分自身の体が弱い前提で生きている方がやっぱり楽だったかな?と考えたり。
やっぱりこの身体のわたしには、できることはいろいろと限られてしまうんだな、とか。
気持ち的にどん底にいるときにはこういう思考が巡り巡って、どんどんどんどん、墜ちて行くことしかできなくなる。
元気になったから今の職場に入ったし、でもこういう体調をぶり返す自分がいるとなると、なんだかさちこさんを騙してしまったような気がする、そんな罪悪感すら、ある。
とにかく身体も気持ちも全然いい方向に向かっていなくて、週の終わり終いには仕事中落ち着いて呼吸もできなくなってしまって。
真っ暗な部屋で横たわって、コントロールしようと思っても、できない。
そんなときに3年くらい前によくこうなっていたこととを思い出したなあ。
そこには、深呼吸に導いてくれる人がいて、わたしの夜泣きに付き合ってそばにいてくれて。よくもこんなわたしを見捨てずにいてくれたよな。そういうことを思い出すと、あんな優しさを持っている人を手放すべきではなかったのかな、とか余計な記憶が刺激されたりもした。
でも、結局自分でコントロールができた。その昔の記憶の中で、かけてもらった声を思い出しながら。
こんなに弱っているようなことを書き散らしているけれど、とにかくこの一年でわたしは前に比べれば大きく変われたとおもう。
書いたように、前に関わってきた人から沢山のヒントを貰いながら、今はそれを自分の力に変えて、自分自身で自分を励ましたり冷静にさせたり、コントロールすることができるようになった。ここはしっかり自分のことを褒めてあげなきゃな。1人で気持ちやからだを少しはコントロールできるようになったね、えらいよ!ってね。
それにしても今回の久々の体調の悪さはまいったなぁ、
こうやってコントロールを自分でできるようになっていた矢先のことだったから、なおさら。
身体のいろんな部分がガッタガタになってしまい、結局全然耳鼻科とは関係ないお医者さんに、疲れているでしょ?と見透かされ気を上げてもらうような漢方をいただいて帰ってきた。
それを飲んだら、あくまでもお守り的なものかもしれないけど、なんだか身体の調子も心の調子も上向きになった、気がする。
自分が弱い身体の持ち主だってことも、素直に認めてあげようと久しぶりに考えることもできた。
何よりも、こんなわたしを(少なくとも現段階は)受けいてくれら職場には感謝してもらしきれないもの。
できることをできるときに沢山して、少しでも恩返しができればと思った。
とにかく、選んだ理由もそうだったし、今の職場には「やさしさ」がたーっぷりあふれている。これを忘れちゃいけないな。
辛い時にねねにはげまされた夜
洋梨たっぷり使いたくて作ったのに洋梨四つ中二つは痛んでいたからトップにしか洋梨並べられなかった、、
サンクスギビングのピカンパイ
最後に少しだけ
人生の中で1番わたしの苛立ちのどツボをついてくる人に出会った
アンガーマネジメントできないわたしの未熟さが何より悪いと思うんだけど、それでもやっぱり、余りにも酷すぎたよ。この人がいなければ、わたしはこんなに調子を崩していなかったはず。たった1人の存在でこんなにも気が狂うほどの苛立ちを覚えてしまうなんて。というより、「苛立ち」という普段動かない神経を久々に刺激されたから、それだけでもわたしにとってはトゥーマッチな動き、変化だったんだろうな。
ここはもう仕方ない。
でも今後はどんな人と出会っても、仕事を一緒にしても、自分の気持ちのコントロールして、冷静で中立な立場でいられるように、トレーニングをしていかないとな。
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休み明けて、今日はだいぶ良くなった。こんなふうに愚痴のように書いてしまったことを悪く思う。自分の心にゆとりさえあれば、捉え方の角度を少し変えたりできるもんなんだな。
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それから、先週あった友達4.5年ぶりくらいに会う友達で、仕舞い込んでいた脳みその中の引き出しがぐちゃぐちゃと、開かれてしまったり。中学の部活時代の友人に会う時は注意しないとだめだ。それから、初めではいった会社の同期も。
相手は何にも、悪くない。こちらの選択と心の持ちようの問題だ。
もちろん、その人たち本人は、本当に大切だし好きだし、これからも関われたら嬉しいと思う
(ていうかわたしが辞めている立場だから、声をかけてくれるという状況の尊さを改めて認識しないといけない)
でもやっぱり自分の中の心を弱く折ってしまう引き金になるものを要素として持ち合わせている知人と会うには、覚悟と心の準備が必要だ。
それはどんな準備なのか、その人たちと自分とが違うことを恐れないことなのか、トラウマを仕舞い込んで強がって立ち振る舞うことなのか、何かはまだ自分でわかっていないけれど、
この辺りの文章、うとうとしながら書いていて脈略がはちゃめちゃ。読んでいて心地よくないけど、朦朧とした意識の中で振り返っていた日常を、ありのまま残してみようとおもう。
身体がしんどいのはとにかく辛いね…単純なことだけれど、健康第一!整えよ!
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ふぅー!慌ただしい1週間が無事に終了。
新潟から帰宅、毎日英語のレッスン、もちろん毎日の仕事、ピーカンパイの仕込み。
いろんな思いをした気がするけど、今日はひとまず疲れちゃった!今週の日記はお休み!
おばあちゃんに会えてただただ嬉しい帰省だったな
ばたばたできる毎日を送れること、すごく幸せなことだな
!
以上!