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まずは新しい場所での新しい1週間、無事終了のお知らせ。
働きながら、幸せだな〜と思う瞬間が何度も訪れた。
あと不思議と、生まれて初めてこんな感情も抱いた。「自分が今世界で一番平和だな〜」と。
心が穏やかで、底からにこにこと笑うことができて、今立つ場所が素敵すぎて、なんてハッピーなんだろう、そう思いながら仕事をしている自分がいる。その事実があまりにも平和なのだ。ついていけないほどに。
ここへ来て改めて、自分の居場所は絶対どこかにあるし、それは自分で切り開いていかなければ見つけられないんだなぁと思い知らされた。
絶対に優しい場所、誰かが自分に優しくしてくれて、自分も優しくいられる場所っていうものは、存在する。
自分で見つけたり、作ったり、していくしかないんだと思う。
今の段階でそこにたどり着くことができた自分のこの幸せを絶対に蔑ろにしてはいけない。今の思いや、5月に動き始めた自分を大切に、大切に、していかなければならない。
それからおばあちゃんのこともあった。
本当に大きな1週間だった。それが2週連続で連なっている。
ついにおばあちゃんは、大好きな家を一旦離れ、施設に引っ越した。
本当にいろんな思いが、ある。手伝いをしていた母もそうだろうし、何よりも誰よりも、いろんな思いに襲われているのはおばあちゃんだ。
それを想像するだけでわたしは泣けてしまう。本人の前ではなかないようにしていたのに、結局、離れ際やたった一日だけど少し離れた後会えた瞬間は、とても涙が抑えられるものではなかった。
でも、でも、いろんな思いがあるだろうけど、それでも、
施設に入った翌日、施設の中のほかの素敵なおばあちゃま同士で楽しそうに話していたことが、ものすごく嬉しくて、安心もした。
もちろん、その一面が百パーセントではないから、これだけで完全な安心、なんてわけにはいかない。
でも、少しでも、笑ってくれているおばあちゃんがそこにいた、それだけでも純粋に喜ばしかったし、心配でたまらない母のことを考えると、ああいうシーンを目に入れられたことは大きな安心材料になったかと、思う。
そんなことはさておき、奇跡と呼びたいできごとがおきた。
いや、さておき、じゃないわ。
おばあちゃんとの出来事があったからなおのこと深く感じるできごとがあった。
まず、前提として、わたしは19歳くらいの頃から毎日身につけているアクセサリーがある。それは昔おばあちゃんが母に贈って、それをわたしが受け取ったもの。肌身離さずつけてきた。
本当に管理の甘い自分を責めるべきだけど、先週それを失くしてしまった。
全く、正気になれなかった。
心が狂いそうで、
これがないなら、
もう、
生きてる意味はどこにあるのかと、
そこまで思うことかって人々は会うだろうけど、わたしにとってはそれくらいのことだった。
気が動転して、
指輪がない、
指輪がない、
指輪がない、
指輪がない、
指輪がない、
寝ても覚めても、仕事に集中している時以外四六時中、数日間これに取り憑かれていた。
反省もたくさんしたし、もう、ものに固執する人生もこれっきりにしようと決別もした。
もう、指輪がない人生を歩んでいくんだ。そう決めたんだ。
製菓をさせてもらうから、きっとそう、指輪なんてしてる場合じゃないんだ、とか、
あぁ、娘を生む人生を選ぶべきじゃないのねっていう神様からのご啓示を妄想した。
「そうか、ないんだ。」
そうどっかで腑に落とした日の朝、諸用があって出勤前に一度出かけるためにドアをあけた。
そうすると、びっくり。
アパートの敷地の壁に、クリアファイルがガムテープで貼ってあり
「落し物です 9/1」の文字があった。
左下には可愛らしいマスキングテープでものを止めていた。
それが、
私がなくした指輪だったのだ。
こんな朝が、あるものか。
最初は信じられかった。もちろん今も。
そんな奇跡があるものなんだ。そんな優しさが溢れる世界なんだ。とか。とにかく、感動したし、感謝をしたし、どん底に落ちていた自分があほらしかったし、でもその瞬間に反省をしていたことは確かなことだったと気がつかされた。
ものに固執をするな、もそうだし、
大切なものはより細心の注意を払って大事にする、もそうだ。
いろんなことを教えてもらえる出来事だった。
シンプルに言えることは、本当に見つかってよかったっていうこと。
それから、自分にはこうやって大切にできる物があること、それ自体も誇らしいことなんだなと思うことができた。
おばあちゃんのことがいろいろあったこのタイミングでこの出来事。
本当に神様は見ていらっしゃるんだな。
それともおじいちゃんのちょっかいかしら?
とにもかくにも、大切な家族の存在を再確認できたり
、今自分の置かれた環境があまりに幸せすぎる物だとしれたり。
すごくいい1週間だ。
明日ゆっくりとやすんで、
明後日からまた楽しみな仕事。真新しい業務内容になるはず。
自分の背中を支えてくれるたくさんか存在を胸に、
また来週の今頃、すごくいい1週間だったと言えるように。