21
ゆっくりと文字にしていきたいこと
・その国の言葉で話すこと
・しらさかさま
・憧れのオーナーさんにお会いしたこと
・幸せの極み、茶会をしたこと
箇条書きという箱にしまっていたことを、ひとつずつ開いていこう。
いつのまにか、水曜になっているけれど。
・その国の言葉で話すこと
どこかいつもと違う国に行った時、そこの言葉で話すことってすごく大切にしたいことだと感じた。
先週1週間、何かとタックスフリーのお客様がおおかったのだけれど、その中でわたしが何をどうお話をしても、2人組でいらしたお客様はずっと母国語で2人だけで話していた。わたしに対しても平気でその言葉で話してきた(わからないぞ?!)。
わたしは仕事では、外国人のお客様でもまずは日本語で話しかけるし、それでわからないと言われれば英語を使うようにしている。
日本語が苦手だけど少しわかるっていう方も中にはいて、丁寧に言葉を選んでくれて伝えてくれる方も多くいて、そういう方と出会うと、その気遣いに深い敬意を払いたくなる。それに相手からの敬意みたいなものも強く感じられる。
反対に、日本語がわからず、こちらが英語で話すと、そのこと自体に感謝の意を表してくれる方がいる。そういう方は大体お店の去り際に「ありがとう」とこちらの言語でお礼を伝えてくれる。
その両者も、こちら側への思いやりや、そして日本や日本語への敬意を感じられる。その気持ちに、こちらも心が温かくなりいっそう丁寧に気持ちを持って接したいなぁと思える。
愚痴みたいになってしまうけど、先日いらしたお二方には、悲しいけれどそういう気持ちにはなれなかった。
言語を知らないことを責めているのでは決してない。そうではなくて、相手に対しての想像力があまりにも欠けている気持ちが悲しいものだった。
お客様とわたしとで、立場が違うのはもちろんだけれど、3人でひとつの会話が成り立つべきシーンにわたしだけぽつんと孤島に追いやられてしまったような、孤独を感じた。
これ以上書いてしまうと、本当にぐちの記録になってしまうからやめるけど、
自分はそうではありたくないなと思った。
でもそんな時に我が身を振り返ってみると、アジア(言語がわからない)圏に旅行にいったとき、わたしは現地のホテルやお店の人に対して英語が話せるからと、英語でずっと話していたことにはっと気付かされた。
もちろんそれでスムーズにコミュニケーションをとれるシーンもあった。しかし全部がそうではなくて、ジェスチャーで意思疎通を図ったり、なくなく英単語ひとつひとつを並べて会話をしたりすることもあった。
そうやって、お互い相手に伝わるように工夫をしながら気持ちを伝え合おうとしたことは今思えばすごく大切な瞬間で、反対に「英語で話せば伝わる」と思い込んでいたのは物凄く利己主義的だった。
自分スタンダードで、物ごとを進めていってしまうことの恐ろしさにはっと気がつかされた。
相手の立場で、相手を思うこと。
言語一つ選ぶにも、こういった思いやりを示すことができるのだ。
その国に行ったら、その国の言葉を出来るだけ使ってみよう。今度からは絶対に。
もしも相手が、わたしに合わせて言語を選んでくれるのであれば、その思いやりに対しての誠意と感謝はせめて、その場所の言語で表していきたい。
・しらさかさま
という大切なお客様がいらっしゃった話。
嬉しいことばを、沢山かけて頂いた。
わたしが差し上げたお便りを「本当に嬉しかった」とにこにこと喜んでくださった。
それから、「本当にぴったりのお仕事ですね」とか「癒されます〜」だとか。
(おまけに「ーさんが今日ここにいなければ、素通りしてました〜」なんていう最高のお言葉も。わたしのために、足を止めてくださったよう。)
わたしの存在、そこで働いているわたしの存在をめちゃめちゃに肯定して下さる素敵な方。
人の目には、こういう風に映っているのだな、と明言化して頂いたことによって感じることができた。
いっしょう、ここにいるわけではないのだとは思うけれど、それでも今一生懸命に過ごしている毎日を、大切なお客様にお褒めの頂いて、強いやりがいを感じられた。
・憧れのオーナーさんにあったこと
これは今は詳しくかけないけれど。
自分の夢を具現しているかのような方とお会いする素敵な時間をつくっていただいた。
やわらかくて、好きなものは好き!な芯の強い方で、それでもしなやかで。
口から出てくる全てのことばや、お気遣いのお茶、ひとつひとつの言動からこのかたの人となりが現れていて、想像以上に憧れが高まってしまった。
少しでもこのかたにお近づきになれるチャンスがありますように。
・茶会
そんなしあわせな日を締めくくってくれた、しあわせな茶会。
頭の中にこの思い出は封じ込めておきたいから、特に文字には、いまはおこさないでおこう。