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〜8年前に起きた震災に想いを寄せて〜

 

 

今週は1週間通してずーっと喉を潰して熱も出してだるさが続いて耳も閉塞感に襲われ久々に不調つづき。

 

あの頃の今の時期もこんな風にして調子がものすごく悪かった。

こんな風というか、また違った不調だけれど。

 

今は楽しく働けていて単純に風邪ひいて免疫が落ちたせいで自分が持っている不具合を併発しまくったっていうだけだったれど、

8年前の今頃はとにかく、こころがまっくらだった。

中学生なりに大変なこともいろいろあって、1番楽しかったはずのことを楽しめなくなってしまって、辞める決断もし切れなくて、毎日毎日泣いていた時期だった。

わたしはきっと人並み以上に心の状態が身体に反映されやすい体質だから、そんな時期はもう、耳の不調をはじめとしたいろーんな不調にやられていた。毎日微熱があるのは当たり前だし、日記には書いて公表したくないようなこともいっぱいあった。とにかく生きることに希望を見出せなくなっていた時だった。(あくまでも中学生なりに、ね。今思えば、へっちゃら、な気もするけど、当時の自分からしたらそんなことなかったんだ…)

 

大好きだったけど嫌いになりそうだったっていうものは他でもなく、小学生から続けていた吹奏楽の部活だったんだけれど、春休みの練習に参加し続けるのもしんどくて、

2011年3月11日が、一度限界を感じた日だった。

 

その日は電車に乗ることさえ怖くて適当に連絡を入れて部活をさぼった。そんな日だった。

 

自分のこころが楽でいられることをしようとして、でも、親には黙って部活をさぼっていたから家にも帰れず、地元のブックオフで時間を潰していた。

 

その当時も調子が悪い時は目眩もしていたから、ブックオフでものすごい大きな目眩を感じた時は、ああ自分やばいな本当にそろそろ。と思って。

そんなことを思って数十秒したら、店内の棚から本がばらばら落ちてきて、室内のチープな蛍光灯もピカピカ変な光り方をして、「あ、これは自分じゃない」って大きな時差を持ってやっと気がついた。

 

普通じゃない地震が起きている。

 

すぐに気づくことができなかった自分を振り返ると、やっぱりあの時のわたしは普通じゃなかったとも同時に思うけど、

そんなことより何より、埼玉で感じた地震でさえもものすごく激しい揺れで、長くて長くて長くて、とにかく怖かった。

 

あの頃わたしが持っていた携帯はウェブにも繋げないものだったから、どこで何が起きたのかは全く把握できなくて、いつどのタイミングで東北で大きな地震が起きていたことを知ったかっていうのは全く記憶にない。

 

大きな地震が一回起きて怖かった後も、普通にデパートに移動して化粧品を見ていたことはうっすらと覚えている。

 

でも確か、外にいても仕方ないとどこかのタイミングで気がついて帰宅したんだっけな。

もし部活に出ていれば電車で帰ってくることもできなかったから学校で泊まる事になっていたらしい。

そんなこんなであっさり帰宅できてしまったことによって、部活をさぼったことは親にあっさりばれてしまったんだったな。

 

でも、世の中がそれどころじゃなかったから。 部活をさぼったとかどうとかは、どうでもいい。

 

帰ってテレビでみた映像は

もう何も、言葉が出ないようなものだった。

 

怖いし辛いし胸が痛むし見たくもないし。

 

でも

あの地域に住んでいた人や、家族や友人に津波に飲まれてしまった人にとっては、

あの津波はわたしが考えられる何倍も何倍もの恐ろしくて恨めしいものだったんだろうな。

 

本当に、いつ思い出しても胸が痛んで涙が抑えられなくなる。

 

こんなことが自分が住む国で、自分が生きているうちに起こるなんて。

 

ただでさえ、こころの状態が良くなかったわたしはますます不安定になって、とにかく、ずっとずっと泣いていた。

 

でも同時に、

自分の存在とか、自分の悩みとかが

いかにちっぽけなものかっていうことも思い知らされた。

世の中には、予想もしていなかった突然の出来事で大切な命や資産、財産、経験、これまで重ねてきたすべてのものを一瞬で失ってしまった人が数えきれない程いるんだ。

自分がくよくよしてることがあまりにも小さすぎるな、と思えるようにもなった。

 

生きる希望を見失っていてなにもかも投げやりになっていた時だったけれど、こんな時にいのちを無駄にするような真似なんで、決してしてはいけないな、と突然の出来事は教えてくれた。

自分はせっかくいきているのだから、いのちを与えてもらっているのだから、大切に、大切に、していかないといけないな、と。

 

もちろん、地震が起きたことでこう思えたことで一瞬でわたしは元気になれたわけではなかったけど。

 

でも振り返ってみれば、

わたしの人生のグラフを表すとするならば、

中3夏〜中3 3月をどん底に、地震以来は少しずつではあるけれど右肩上がりになっていったかな、と思う。

あの大きな災害があったことを決して良かった出来事だとは1ミリも思わないけれど、わたしが変わることができた機転にはなった出来事だった。

 

 

結局その年、離れることも辛かったけど部活を、離れることができて、新しく好きなことを見つけることもできた。

それをきっかけに、あの頃は生きる希望でもあったくらいの素敵な人に出会うこともできた。

その人に出会った頃には、東北の被災地にボランティアに行って、大事なものをたくさん見ることもできた。

 

 

東日本大震災を思い出すのは、そのできごとだけでも相当胸が苦しくなるし、あの頃の自分を思い出すとなおのこと辛さが増す。

それでも、あの震災はわたしにとってその後のなにかに繋いでいくことのできた意味のあるできごと、だったとは、おもう。

 

というより、意味のあるできごとにしていかないといけないと思う。

 

もしも同じ規模の地震がまた起きたら。

それがどこであれ、大変なできごとになるけれど、例えば自分や自分にとって大切な人が暮らしているところで起きたら。

 

そのときに「ああしていればよかった、こうしていればよかった」

そういう後悔をしないように。

日々を大切に生きることと、なにか災害が起きても冷静でいられるようにということと、

そして何より与えられたいのちを大事にいきていくこと。

 

これをしっかりと意識づけてくれるものが、わたしにとっての東日本大震災

 

 

 

もちろん、身近な方や大切なものを亡くした、失くした人は、まだまだ心の傷が癒えていないと思うし、災害であれ恨めしくてたまらないと思う。

そんな人の心の傷が1日でもはやく、少しでも癒えるように、亡くなってしまった方の冥福をお祈りするとともに。

 

祈ることと、しっかりと先を見失わずに生きていくこと、無力だけどこれがわたしにできること。

 

風化させずに、想いを胸に、生きていこう。

ひとりでも多くの人たちがこの胸が痛むできごとを忘れずに意味のないものにしていかないように。