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※日記だから、いろんなことを包み隠さず書きます。今に始まった事ではないけれど。笑

 

 

ひとつ前の日記は、おさぼり日記。箇条書きのものになってしまった。

慌しかったな、先週は。

 

なんなら、10月の終わりから英国展もあって、本気で休むということができていなかったな。

 

そのボロが、どんどん露わになったのが今週だった。

 

週の半ばからここ数ヶ月は感じていなかった酷い目眩を起こしてしまい、満員電車の空気感にも耐えかねて車内で座り込んでしまったり。

立っていなきゃ本来できない仕事を普段しているけれど、椅子に腰掛けながらできる仕事をやらせてもらったり。

こんなふうに対応してもらえる職場で本当によかった。

 

ただ、今の場所では身体の弱い部分を曝け出すのが初めてで、悔しかった。

 

9月以来身体の調子は本当によかったから、自分の病弱キャラはすっかり忘れていたし、どこかに置いてきていたつもりだった。

だから職場ではさちこさんの次に動ける人間だと勝手に思っていて、きっとさちこさんにもそれに近いことを思ってもらえていたとおもうのだけれど、

病弱キャラの自分がぶり返して突然やってきたせいで、全ての調子が狂っていった…

 

スーパーにも暫く行けないかな、と感じてしまうくらい、目眩+光の刺激+においのトータルで出来上がる居心地の悪い空間。

チカチカする上にぐるぐるする、怖いくらいだった。

 

家の中でも立ち続けていることが難儀でベットサイドのスツールには今週はずーっと助けられていた。

 

何かを火にかけて少し待つ間はずっと座っていたし、できるときはお野菜を切る時も座りながら。

 

そうやって思い通りに身体が動かないことのもどかしさ自体も更なるストレスになってしまう。これが1番しんどいんだよね。

 

元気に戻ったと信じ込んでいた自分の体が実際はやっぱりそうじゃないってことを突きつけられたこと、いつまで経っても完全に治るものじゃないんだなこれはもう付き合っていくしかないんだなって自覚していかなきゃ行けないこと…。

自分自身の体が弱い前提で生きている方がやっぱり楽だったかな?と考えたり。

 

やっぱりこの身体のわたしには、できることはいろいろと限られてしまうんだな、とか。

気持ち的にどん底にいるときにはこういう思考が巡り巡って、どんどんどんどん、墜ちて行くことしかできなくなる。 

 

元気になったから今の職場に入ったし、でもこういう体調をぶり返す自分がいるとなると、なんだかさちこさんを騙してしまったような気がする、そんな罪悪感すら、ある。

 

とにかく身体も気持ちも全然いい方向に向かっていなくて、週の終わり終いには仕事中落ち着いて呼吸もできなくなってしまって。

 

真っ暗な部屋で横たわって、コントロールしようと思っても、できない。

そんなときに3年くらい前によくこうなっていたこととを思い出したなあ。

そこには、深呼吸に導いてくれる人がいて、わたしの夜泣きに付き合ってそばにいてくれて。よくもこんなわたしを見捨てずにいてくれたよな。そういうことを思い出すと、あんな優しさを持っている人を手放すべきではなかったのかな、とか余計な記憶が刺激されたりもした。

 

でも、結局自分でコントロールができた。その昔の記憶の中で、かけてもらった声を思い出しながら。

 

こんなに弱っているようなことを書き散らしているけれど、とにかくこの一年でわたしは前に比べれば大きく変われたとおもう。

書いたように、前に関わってきた人から沢山のヒントを貰いながら、今はそれを自分の力に変えて、自分自身で自分を励ましたり冷静にさせたり、コントロールすることができるようになった。ここはしっかり自分のことを褒めてあげなきゃな。1人で気持ちやからだを少しはコントロールできるようになったね、えらいよ!ってね。

 

それにしても今回の久々の体調の悪さはまいったなぁ、

こうやってコントロールを自分でできるようになっていた矢先のことだったから、なおさら。

 

身体のいろんな部分がガッタガタになってしまい、結局全然耳鼻科とは関係ないお医者さんに、疲れているでしょ?と見透かされ気を上げてもらうような漢方をいただいて帰ってきた。

 

それを飲んだら、あくまでもお守り的なものかもしれないけど、なんだか身体の調子も心の調子も上向きになった、気がする。

自分が弱い身体の持ち主だってことも、素直に認めてあげようと久しぶりに考えることもできた。

 

何よりも、こんなわたしを(少なくとも現段階は)受けいてくれら職場には感謝してもらしきれないもの。

できることをできるときに沢山して、少しでも恩返しができればと思った。

 

とにかく、選んだ理由もそうだったし、今の職場には「やさしさ」がたーっぷりあふれている。これを忘れちゃいけないな。

 

 

辛い時にねねにはげまされた夜

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洋梨たっぷり使いたくて作ったのに洋梨四つ中二つは痛んでいたからトップにしか洋梨並べられなかった、、f:id:the_littleworth:20191203214809j:image
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サンクスギビングのピカンパイ

 

 

最後に少しだけ

人生の中で1番わたしの苛立ちのどツボをついてくる人に出会った 

アンガーマネジメントできないわたしの未熟さが何より悪いと思うんだけど、それでもやっぱり、余りにも酷すぎたよ。この人がいなければ、わたしはこんなに調子を崩していなかったはず。たった1人の存在でこんなにも気が狂うほどの苛立ちを覚えてしまうなんて。というより、「苛立ち」という普段動かない神経を久々に刺激されたから、それだけでもわたしにとってはトゥーマッチな動き、変化だったんだろうな。

ここはもう仕方ない。

でも今後はどんな人と出会っても、仕事を一緒にしても、自分の気持ちのコントロールして、冷静で中立な立場でいられるように、トレーニングをしていかないとな。

 

休み明けて、今日はだいぶ良くなった。こんなふうに愚痴のように書いてしまったことを悪く思う。自分の心にゆとりさえあれば、捉え方の角度を少し変えたりできるもんなんだな。

 

それから、先週あった友達4.5年ぶりくらいに会う友達で、仕舞い込んでいた脳みその中の引き出しがぐちゃぐちゃと、開かれてしまったり。中学の部活時代の友人に会う時は注意しないとだめだ。それから、初めではいった会社の同期も。

 

相手は何にも、悪くない。こちらの選択と心の持ちようの問題だ。

 

もちろん、その人たち本人は、本当に大切だし好きだし、これからも関われたら嬉しいと思う

(ていうかわたしが辞めている立場だから、声をかけてくれるという状況の尊さを改めて認識しないといけない)

 

でもやっぱり自分の中の心を弱く折ってしまう引き金になるものを要素として持ち合わせている知人と会うには、覚悟と心の準備が必要だ。

 

それはどんな準備なのか、その人たちと自分とが違うことを恐れないことなのか、トラウマを仕舞い込んで強がって立ち振る舞うことなのか、何かはまだ自分でわかっていないけれど、

 

 

 

この辺りの文章、うとうとしながら書いていて脈略がはちゃめちゃ。読んでいて心地よくないけど、朦朧とした意識の中で振り返っていた日常を、ありのまま残してみようとおもう。

 

 

 

身体がしんどいのはとにかく辛いね…単純なことだけれど、健康第一!整えよ!